開業物語 第6回 串かつ屋 あげ升


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開店ストーリー

開業物語 第6回 串かつ屋 あげ升

shop date
店 名 / 串かつ屋 あげ升 
住 所 / 福岡市中央区春吉2-2-26
T E L  / 092-715-3325
定休日 / 日曜日
営業時間/18:00~24:00
坪 数 / 16坪
席 数 / 27席

  

 

 

 

 

 

 

オーナーの 北垣邦憲さん

 

心に決めた日

 

兵庫県の田舎、祖父母は農業を営み、父は会社員として、母はパートとして働くいたって普通の家庭で育った店主北垣。小学生のとき、調理実習で習った料理を家で作ってみた。
「お母さんが作るのと全然違う!美味しい!」と家族の喜ぶ顔を見て、料理って作る人によって味が変わるんだ!と、料理に興味を持った。ちょうどその頃、テレビで始まった「料理の鉄人」を見て、料理人ってかっこいい!大人になったら鮨職人になる!と心に決めた。
一方、熊本市内でラーメン屋を営む両親の長女として育った女将の涼子。小学生のとき、父が事業拡大に失敗し、家も店も財産も全て失くし、両親は離婚。自分は絶対に同じ道には進まないと心に決めた。

 

 

辻調理師専門学校へ

 

北垣は、高校卒業後、両親の大反対を押し切って、幼い頃から決めていた料理の学校へと進学する。そして、生活費を自分で稼ぐために、一年間住み込みでアルバイトをさせてもらったお店が、大阪新世界の老舗串かつ屋「八重勝」だった。

涼子は、高校2年生のとき、親友の突然の死がきっかけで、その友人が喜んでくれていたたお菓子を作ってお墓参りを繰り返すうち、お菓子を学びたいと思うよ うになった。お菓子の専門学校へ行きたいと母親に相談するが母親は大反対。なんとか説得し、料理学校だったらと許してもらい、辻調理師専門学校へ進学す る。

たちは同じクラスになり、同じ道を志す仲間として励まし合う存在になった。

そして一年後、卒業。 北垣は、夢だった大阪の老舗高級鮨屋に就職。 涼子は、福岡の老舗フランス料理店に就職。 それぞれの道での修行が始まった。

その年に、幼い頃から決めていた料理の世界を志すべく辻調理師専門学校へ入学し、住み込みのアルバイトとして八重勝に入ったのが、あげ升の料理長の憲治だった。

 

 

自分がやりたいことに気付く!

北垣は、鮨屋に入って初めて気が付いた。「自分は串かつがやりたい!」と。一年間の八重勝での仕事で、すっかり串かつの世界に魅せられていたのだ。鮨屋に就職して半年後、八重勝の専務に相談すると、戻って来いと言って頂いた。
両親にこっぴどく怒られながらも、鮨屋を退職し、八重勝に社員として入社した。
それからは、串かつを極めるため、必死に修行を重ね、めきめきと頭角を表す存在となる。
一つ年下の料理長憲治も、学校を卒業後そのまま八重勝に残って8年ほど修行。
北垣
と憲治は、超繁盛店の八重勝で共に仕事をしながら、信頼関係を築いていった。

涼子は、就職したフランス料理店での厳しい修業に耐えながら、厨房での料理もホールでの接客も両方していた。もうすぐ3年目になるというとき、自分はどう してお菓子を作りたかったのか、料理と接客とどちらが好きなのか・・・と真剣に考え始めた。そして、気付いた。「ひとの喜ぶ顔を見ることが私の幸せ!私は 接客のほうが好きなんだ」と。

私たちは、大阪と福岡で離れていても、いろんな相談をし合える良き友人だった。いつしか自然と交際が始まり、23歳で結婚。 「二人で串かつ屋を出そう」という目標は、ごく自然の流れだった。 それも、北垣は福岡に遊びに来るうちに、すっかり福岡を気に入り、 「福岡には串かつ屋がない。自分の店は福岡に出す!」と結婚前から決意していた

 

結婚と同時に開業準備スタート

 

北垣は、それまでと変わらず八重勝での修行を続け、結婚を機に大阪にやってきた涼子は、接客に力を入れている飲食店にアルバイトとして入社。接客や経営についてさらに深く学び始める。

結婚して最初の1年で、お互いのローンを全て返済し、その後3年間で開業資金として900万の貯金をすると決意。 3年で900万貯めるには、一ヶ月25万の貯金が必要だった。 涼子は、福岡で暮らす母へ仕送りもしていたため、飲食だけでは必要な分を稼げないと腹をくくり、目標をクリアするために、昼の飲食店と掛け持ちで、夜はテ レアポの仕事も始めた。テレアポの仕事で学んだ接客の技も、涼子にとっては大きな財産となった。 朝から夜遅くまで、毎日がむしゃらに働いて、毎月25万の貯金を一月も欠かすことなく2年半続けた。
そして、26歳の春、北垣がいよいよ見切りをつけ、やろう!と言い出した。
その年、2006年の9月末で二人とも大阪の職場を退職し、翌月10月に、福岡に引越し。最初の予定より半年早く退社したため、貯金できたお金は750万だった。

北垣の両親の反対を押し切っての引越しだった。 後ろ髪をひかれながらも、いよいよ福岡での開業準備が始まる。

 

 


リード・クリエーションとの出会い

大阪にいる頃から、店舗設計やデザインなどを任せられる会社をネットで探していた。そこで、数ある会社の中から、たった一つだけ、信頼できると感じられたHPを見つけた。
それが、リード・クリエーションだった。何度かメールでのやり取りをして、福岡に行ったら連絡をします、と伝えていた。

 

 


 


あげ升オープンへの道のり

 

いよいよオープンに向けて本格的に動き始めた。
直感で決めた春吉の物件は、場所柄、親戚に猛反対された。
でも、リード・クリエーションの社長は賛成してくれた。さらに、同じビルの隣で営業しているバーが、たまたまリード・クリエーションが手がけたお店だったため、オーナーのお二人に相談することができ、そして、迷いはなくなった。
ここに人生をかけてみようという覚悟ができた。
2006年12月から始めたブログも、出会えた方々との交流に大きく貢献してくれ、応援してくれる方がどんどん増えていった。
勉強会にもできる限り参加し、先輩方にアドバイスをたくさん頂くうちに、自分たちのコンセプトは磨かれていった。
「旨い串かつと旨い酒。そして最高のサービスで、感動を提供する。」

 

これを軸に、全てを進めていった

 

八重勝から頂いた一週間

 

2007年の1月、八重勝の専務から「福岡の大丸で催事をやってみないか?」と誘って頂く。もちろん、「八重勝」としての出店だが、もうすぐ福岡でオープンするあげ升のチラシを配ったらいい、宣伝にも良い練習にもなるはずや、と声をかけて頂いたのだ。
料理長の憲治も大阪から駆けつけて、一週間、北垣の家に泊り込んだ。
福岡で、大阪の串かつが受け入れてもらえるのか・・・
緊張と不安で始まった大丸での祭事は、一週間で一万本の串が売れるほどの大成功だった。仕込み、仕入れ、移動、販売・・・寝る暇もない過酷な一週間だったが、三人にとって、これは大きな励みになった。ものすごい量のチラシを配ることもできた。

 

父からの一言

商 売をすること、福岡にお店を構えることに大反対だった北垣の両親に、福岡に来てからはまめに手紙やメールを送って近況を報告した。今日は、こんなことを勉 強した、こんなひとに出会った、お店が出来てきた、開店の日が決まった・・・等など、決して軽い気持ちでお店を出そうとしてるわけではないことを伝えた かった。
お店は完成し、オープンの日が差し迫った頃、突然、兵庫の田舎から、両親が福岡までやってきた。そしてこう言ってくれた。
「頑張ってしっかり稼ぎなさい。」
その一言が、私たちにとってどれだけ嬉しい言葉だったか・・・
両親もようやく認めてくれた!やるしかない!

 

27歳の春、2007年3月3日18:00・・・いよいよ、あげ升開店!

 

 

お店の外にまで溢れかえったたくさんのお祝いの花を目の前にして、こんなにもたくさんの方が、自分たちを応援してくれ、支えてくれているんだと、胸が熱くなった。
そして、18時にオープンすると、感動する間もないほどの忙しさだった。
それから、毎日山のようにでてくる反省点を、一つ一つ改善していき、お店も自分たちも確実に成長させていけるよう、必死で頑張った。
気が付いたら、テレビや雑誌がどんどん取り上げてくれ、毎日満席になった。

 

27歳で独立したというと、「若い」とよく言われるが、その道を志してからの年月は決して短くなかった。
この道で生きていこうと覚悟を決めた日から、一日一日を必死に修行してきた年月の深み。
それを、あげ升で自分たちらしく表現できることを、今とても幸せに思う。
「福岡に串かつ屋あげ升あり」と云われる日が来ることを目標に
お客様に感動を与えられるお店となれるように

これからも、人生をかけて、精一杯、最高の仕事をしていきたい。

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