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開店ストーリー

開業物語 第7回 家庭料理 じぃじ

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店 名 / 家庭料理じぃじ 
住 所 / 福岡市中央区渡辺通2-9-17
T E L  / 092-714-6896
定休日 / 日祝日
営業時間/11:30~13:30(昼)

       17:30~22:00 (夜)

 ※土曜日はランチをしていません
坪 数 / 9坪
席 数 / 15席


 オーナーの佐川さん


未経験の飲食業で第二の人生を

 私は兵庫県西宮市生まれ、団塊世代真っ只中の63歳です。
関西の大学を卒業後、大手産業機械メーカーに就職し、営業畑で38年間を勤め上げました。
定年式が一緒だった110人中、再雇用を希望しなかったのはたったの10人。未経験の飲食業に飛び込んだのは私たった1人でした。


料理に目覚めたきっかけ


料理に目覚めたきっかけ小学校の頃、母の手伝いをした事がきっかけで料理を作る面白さに目覚めました。その後は、結してからも休日に料理を作ることが何よりのリフレッシュになりました。

これに自信をつけて、会社の同僚、部下を自宅に招いて手料理をふるまうようになりました。
そして「美味しい!」と言ってもらう度に、「人に美味しいものを食べてもらことで、こんな風に喜んでもらうことができるんだ」とうれしくなりました。
そして、「将来は飲食店をやってみたい」という夢を持つようになりました。

夢の実現に向けて


60歳の定年まで1年近くになった時、妻に「家庭的な野菜や魚を中心にした飲食店を始めたい」と思い切って打ち明けました。すると「全く経験のない飲食店なんてやめてください!」と大反対されました。
1年をかけて妻を説得したものの、何から始めたらいいか分からずに悩んでいると、今度は逆に妻の方から「やると決めたら、早く飲食店を持つ準備を進めたらどうですか?」と背中を押されました。
インターネットで「開業支援」をしてくれる会社を探し、「リード・クリエーション」さんを見つけました。
勇気を出して相談に伺ったところ、まず開業の知識を学ぶ「勉強会」に参加することを勧められました。

修行から開店へ

 

「リード・クリエーション」さんでは、開業勉強会に始まり、物件紹介、店舗づくりのサポートをしていただきました。
さらに退職後、飲食店に一度も勤めた経験がなかった私を、短期で修行させてもらえるお店まで紹介してもらいました。
お店のまわし方や運営の仕方は、こちらで4ヶ月程勉強させてもらいました。

そして平成20年12月18日、家族の全面協力を得て、10坪弱のお店を無事開店することができました。
屋号の「じぃじ」は、妻や娘やに呼ばれていたニックネームから名付けました。
開業後も、マスコミあてのプレスリリースのサポートをしていただき、FBS「めんたいワイド」というテレビ番組に取材していただくことができました。

オープンしてからの日々


料理を作る上での不安や心配に加えて、接客に関しては初めてのことなので最初は大変緊張しました。
しかし、それも日を追うごとに慣れてきて、3年目の今では色んなお客様との会話を楽しめる余裕が出てきました。
お客様は中高年の男性サラリーマンが主ですが、欲を言えば社会人真っ只中の若い人達とも、もっともっとふれ合いを持ちたいと願っています。

健康面は、勤務中に73kgあった体重は55kgに減量しました。健康診断で悪かった数値も改善し、体調はすこぶる良好です。

好きなことを仕事にする充実感


お客様から「好きなことが出来て羨ましいですね」と言われることがあります。
現在、充実した第二の人生を完全燃焼をすべく毎日奮闘しています。好きなことを仕事にできたのは、本当にしあわせなことだと思います。

昨今の不景気によるリストラ・早期退職や、まだ体力も気力も残っている定年後の身の振り方を考えあぐねておられる方も多いと聞きました。
私の起業経験が、少しでもそういう方達の励みになればうれしく思います。


開業物語 第6回 串かつ屋 あげ升

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店 名 / 串かつ屋 あげ升 
住 所 / 福岡市中央区春吉2-2-26
T E L  / 092-715-3325
定休日 / 日曜日
営業時間/18:00~24:00
坪 数 / 16坪
席 数 / 27席

オーナーの 北垣

邦憲さん・涼子さん

 

心に決めた日

兵庫県の田舎、祖父母は農業を営み、父は会社員として、母はパートとして働くいたって普通の家庭で育った店主北垣。小学生のとき、調理実習で習った料理を家で作ってみた。
「お母さんが作るのと全然違う!美味しい!」と家族の喜ぶ顔を見て、料理って作る人によって味が変わるんだ!と、料理に興味を持った。ちょうどその頃、テレビで始まった「料理の鉄人」を見て、料理人ってかっこいい!大人になったら鮨職人になる!と心に決めた。
一方、熊本市内でラーメン屋を営む両親の長女として育った女将の涼子。小学生のとき、父が事業拡大に失敗し、家も店も財産も全て失くし、両親は離婚。自分は絶対に同じ道には進まないと心に決めた。

 


辻調理師専門学校へ

北垣は、高校卒業後、両親の大反対を押し切って、幼い頃から決めていた料理の学校へと進学する。そして、生活費を自分で稼ぐために、一年間住み込みでアルバイトをさせてもらったお店が、大阪新世界の老舗串かつ屋「八重勝」だった。

涼子
は、高校2年生のとき、親友の突然の死がきっかけで、その友人が喜んでくれていたたお菓子を作ってお墓参りを繰り返すうち、お菓子を学びたいと思うよ うになった。お菓子の専門学校へ行きたいと母親に相談するが母親は大反対。なんとか説得し、料理学校だったらと許してもらい、辻調理師専門学校へ進学す る。

たちは同じクラスになり、同じ道を志す仲間として励まし合う存在になった。

そして一年後、卒業。 北垣は、夢だった大阪の老舗高級鮨屋に就職。 涼子は、福岡の老舗フランス料理店に就職。 それぞれの道での修行が始まった。

その年に、幼い頃から決めていた料理の世界を志すべく辻調理師専門学校へ入学し、住み込みのアルバイトとして八重勝に入ったのが、あげ升の料理長の憲治だった。

 


自分がやりたいことに気付く!

北垣は、鮨屋に入って初めて気が付いた。「自分は串かつがやりたい!」と。一年間の八重勝での仕事で、すっかり串かつの世界に魅せられていたのだ。鮨屋に就職して半年後、八重勝の専務に相談すると、戻って来いと言って頂いた。
両親にこっぴどく怒られながらも、鮨屋を退職し、八重勝に社員として入社した。
それからは、串かつを極めるため、必死に修行を重ね、めきめきと頭角を表す存在となる。
一つ年下の料理長憲治も、学校を卒業後そのまま八重勝に残って8年ほど修行。
北垣
と憲治は、超繁盛店の八重勝で共に仕事をしながら、信頼関係を築いていった。

涼子は、就職したフランス料理店での厳しい修業に耐えながら、厨房での料理もホールでの接客も両方していた。もうすぐ3年目になるというとき、自分はどう してお菓子を作りたかったのか、料理と接客とどちらが好きなのか・・・と真剣に考え始めた。そして、気付いた。「ひとの喜ぶ顔を見ることが私の幸せ!私は 接客のほうが好きなんだ」と。

私たちは、大阪と福岡で離れていても、いろんな相談をし合える良き友人だった。いつしか自然と交際が始まり、23歳で結婚。 「二人で串かつ屋を出そう」という目標は、ごく自然の流れだった。 それも、北垣は福岡に遊びに来るうちに、すっかり福岡を気に入り、 「福岡には串かつ屋がない。自分の店は福岡に出す!」と結婚前から決意していた


結婚と同時に開業準備スタート

北垣は、それまでと変わらず八重勝での修行を続け、結婚を機に大阪にやってきた涼子は、接客に力を入れている飲食店にアルバイトとして入社。接客や経営についてさらに深く学び始める。

結婚して
最初の1年で、お互いのローンを全て返済し、その後3年間で開業資金として900万の貯金をすると決意。 3年で900万貯めるには、一ヶ月25万の貯金が必要だった。 涼子は、福岡で暮らす母へ仕送りもしていたため、飲食だけでは必要な分を稼げないと腹をくくり、目標をクリアするために、昼の飲食店と掛け持ちで、夜はテ レアポの仕事も始めた。テレアポの仕事で学んだ接客の技も、涼子にとっては大きな財産となった。 朝から夜遅くまで、毎日がむしゃらに働いて、毎月25万の貯金を一月も欠かすことなく2年半続けた。
そして、26歳の春、北垣がいよいよ見切りをつけ、やろう!と言い出した。
その年、2006年の9月末で二人とも大阪の職場を退職し、翌月10月に、福岡に引越し。最初の予定より半年早く退社したため、貯金できたお金は750万だった。

北垣の両親の反対を押し切っての引越しだった。 後ろ髪をひかれながらも、いよいよ福岡での開業準備が始まる。

 



リード・クリエーションとの出会い

大阪にいる頃から、店舗設計やデザインなどを任せられる会社をネットで探していた。そこで、数ある会社の中から、たった一つだけ、信頼できると感じられたHPを見つけた。
それが、リード・クリエーションだった。何度かメールでのやり取りをして、福岡に行ったら連絡をします、と伝えていた。






あげ升オープンへの道のり

いよ いよオープンに向けて本格的に動き始めた。
直感で決めた春吉の物件は、場所柄、親戚に猛反対された。
でも、リード・クリエーションの社長は賛成してくれた。さらに、同じビルの隣で営業しているバーが、たまたまリード・クリエーションが手がけたお店だったため、オーナーのお二人に相談することができ、そして、迷いはなくなった。
ここに人生をかけてみようという覚悟ができた。
2006年12月から始めたブログも、出会えた方々との交流に大きく貢献してくれ、応援してくれる方がどんどん増えていった。
勉強会にもできる限り参加し、先輩方にアドバイスをたくさん頂くうちに、自分たちのコンセプトは磨かれていった。
「旨い串かつ と旨い酒。そして最高のサービスで、感動を提供する。」

 

これを軸に、全てを進めていった

 

八重勝から頂いた一週間

2007年の1月、八重勝の専務から「福岡の大丸で催事をやってみないか?」と誘って頂く。もちろん、「八重勝」としての出店だが、もうすぐ福岡でオープンするあげ升のチラシを配ったらいい、宣伝にも良い練習にもなるはずや、と声をかけて頂いたのだ。
料理長の憲治も大阪から駆けつけて、一週間、北垣の家に泊り込んだ。
福岡で、大阪の串かつが受け入れてもらえるのか・・・
緊張と不安で始まった大丸での祭事は、一週間で一万本の串が売れるほどの大成功だった。仕込み、仕入れ、移動、販売・・・寝る暇もない過酷な一週間だったが、三人にとって、これは大きな励みになった。ものすごい量のチラシを配ることもできた。

 

父からの一言

商 売をすること、福岡にお店を構えることに大反対だった北垣の両親に、福岡に来てからはまめに手紙やメールを送って近況を報告した。今日は、こんなことを勉 強した、こんなひとに出会った、お店が出来てきた、開店の日が決まった・・・等など、決して軽い気持ちでお店を出そうとしてるわけではないことを伝えた かった。
お店は完成し、オープンの日が差し迫った頃、突然、兵庫の田舎から、両親が福岡までやってきた。そしてこう言ってくれた。
「頑張ってしっかり稼ぎなさい。」
その一言が、私たちにとってどれだけ嬉しい言葉だったか・・・
両親もようやく認めてくれた!やるしかない!

 

27歳の春、2007年3月3日18:00・・・いよいよ、あげ升開店!

お店の外にまで溢れかえったたくさんのお祝いの花を目の前にして、こんなにもたくさんの方が、自分たちを応援してくれ、支えてくれているんだと、胸が熱くなった。
そして、18時にオープンすると、感動する間もないほどの忙しさだった。
それから、毎日山のようにでてくる反省点を、一つ一つ改善していき、お店も自分たちも確実に成長させていけるよう、必死で頑張った。
気が付いたら、テレビや雑誌がどんどん取り上げてくれ、毎日満席になった。

 

27歳で独立したというと、「若い」とよく言われるが、その道を志してからの年月は決して短くなかった。
この道で生きていこうと覚悟を決めた日から、一日一日を必死に修行してきた年月の深み。
それを、あげ升で自分たちらしく表現できることを、今とても幸せに思う。
「福岡に串かつ屋あげ升あり」と云われる日が来ることを目標に
お客様に感動を与えられるお店となれるように

これからも、人生をかけて、精一杯、最高の仕事をしていきたい。

開業物語 第5回 美容室アンドゥドゥ

オーナーの林さん

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店 名 / 美容室 アンドゥドゥ 
住 所 / 福岡市博多区吉塚5-1-5
T E L  / 092-629-2500
定休日 / 月曜・第3火曜
営業時間/10:00~19:00
坪 数 / 50坪(1・2F)
席 数 / セット 10台
シャンプー  6台


サービス業への目覚め

 「コーヒー飲みたいなぁ・・・」
夕食のあと家族揃ってTVを見ている親父がひと言。夢中になって「8時だよ全員集合」を見ていた私のアンテナにピピッときます。
「もう、しょうがないなぁ、コーヒー飲みたい人誰?」全員の手が上ります。出来立てのコーヒーをお盆に載せ、リビングのテーブルに・・・すると「ヒロタカ の淹れてくれたコーヒーは美味しいね」「ほんとコーヒー淹れるの上手だね」楽しみにしていた加藤茶のコントを見れなかったのも忘れ、私は満足げに家族の顔 を見渡した。このときの満足感を得たいために、20年後独立するなどとは夢にも思わなかった、小学校4年生のある晩の出来事でした。


18歳でラーメン屋開店!

月日は流れ18歳の春。
大学受験に失敗した私は、親に言われるがまま中華料理屋の門を叩いていました。もとはといえば地方公務員でもある親父がどうしても商売をしてみたいが、仕事を辞めるわけにもいかず、受験に失敗した息子を使い、自分の夢を叶えようとした末の結論でした。
大学に落ち浪人しようと思っていた私は、中華料理店の見習いとして、とりあえずスープの仕込みと中華鍋の振り方を覚えると、たった3ヶ月の修行でラーメン屋を開店してしまったのでした。





ラーメン屋にピリオド!

そんな調子で親父の実家、長野県飯田市にオープンしたラーメン屋。開店当時1年くらいは、そこそこお客さんも来て、調子に乗ってフェアレディZの新車を購 入!しかし、所詮は素人商売、徐々に売上げは落ち込みはじめる、そこでスープだけではなく麺も自家製麺に変えたりと売上げを上げるための試行錯誤の日々が 続く。しかし、いくら頑張ってもダメなものはダメでした。開店から5年、ラーメン屋は閉店する事になりました。



フリーター生活で学んだ「おもてなし」

ラーメン屋を失敗し、東京に戻ってきた私は、とりあえずアルバイトを始めました。派遣で紹介してもらって始めたホテルのレストランでのウエイターの仕事、ウエ イターというと、トレイに水を載せて出し、注文を聞いて料理を出すだけだと思っていたんですが、これが大間違い、甘かった!
メニューはなんと全て中国語、そしてドリンクや料理の出し方の細部にわたるサービスの基本、当然フロアに立っているときは私語は一切禁止!神経を張り詰めっぱなしの毎日でした。
しかしそんな日々の働きを買われ、ホテルのバーのマネージャーに誘われ、なんと憧れのバーテンダーデビューを果たすのでした。この時期、ホテルでの様々な仕事で「サービス」や「おもてなし」というものの形を勉強できました。




東京を離れ、いざ博多へ

しかし、この仕事とも別れのときが・・・25歳にして定職を持たない息子を心配している親を見て「ココにいてはいけない、一旦東京を離れよう」と決めた私 は、博多に行き再びラーメン屋の修行をすることに決めました。親戚の手を借りて、なんとかラーメン屋に就職することが決まった私は、吉塚にアパートを借り ました。




運命の出会い・・・・!

布団と洗濯機だけを持ち込み、なんとか住める環境を確保し、初出社の前、気持ちを新たに髪を切ろうと、バス通りに出て美容室を探しました。当時通り沿いに あったのはY美容室さんと、赤いタイル張りの美容室・・・。迷った挙句、私が入って行ったのは赤いタイル張りの、そう現在の”アンドゥドゥ”(旧フロアマ マ吉塚店)だったのです!その選択がその後の、私の人生を大きく変える運命の選択だったとは、当時の私は考えもしませんでした・・・。お店に入りイスに腰 掛け、「今日はどうなさいますか~」と声をかけてられ、当時カットし
たかパーマかけたかは、全然覚えていないのですが、ものすごく鮮明に覚えているのが、
話をしながら「博多に来て始めて口を利いた、あかの他人がこの人か~、これでこの人と結
婚とかしたらTVドラマみたいだな~」と妄想したことなのです。
そして話はTVドラマのように展開していったのでした。



28歳美容人生のはじまり

それから数年後、結婚、そして子供も生まれ、当時ラーメン屋を辞め、ホテルのレストランの責任者として働いていた私は、「このままでいいのか?」と自問自答 する日々に終止符を打つべく、フロアママの門を叩くことになりました。28歳のいい大人の私が、「自分の店を持つ!」と決意をし、美容人生をスタートさせ たのですが、18歳で10歳年下の先輩美容師達にあごで使われながらの修行は、今でこそ言えますが、結構厳しいものでした・・・。




美容室アンドゥドゥのスタート

それから3年の見習いを経て、フロアママ本社社長からチャンスを頂き、お店の権利を譲り受け、自分の城「アンドゥドゥ」としてスタートすることができました。
九州に来て大勢の方との出会い、その全ての方に支えられ励まされながら、どうにかこうにかココまでくることができました。
これからは、自分の夢を追い続けるのはもちろん、今の私を支えてくれるスタッフや、お客様の夢を叶えるお手伝いが出来るよう、力の限り頑張っていきたいと思います。



 

開業物語 第4回 餃子専門店 黒兵衛

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店主の執行さん

店 名 / 餃子専門店 黒兵衛 
住 所 / 福岡市南区大楠2丁目13-7
T E L  / 092-522-1726
F A X  / 092-551-8825
定休日 / 月曜日(月曜日が祭日の際は営業)
営業時間/11:00~20:00 
坪 数 / 10坪
席 数 / 4席


餃子物語のはじまり

それは店主、執行豊の物語でもある。
昭和23年、福岡市に生まれ西南大学卒業後、2年間のサラリーマン生活を送るが、病に倒れ退職。数年間のフリーター生活を経て、金融業を始めると業績は順 調に伸びていった。そんなある日、知人の保証人になった為、多額の借金をかかえしまい生活は一変し、食事代にも事欠くようになった。




餃子との出会い

そんな状況のなかでも、周囲の協力もあり平成9年11月に福岡市中央区
舞鶴に飲食店を開業することになる。
もともと食べることが好きで、あちこち食べ歩いてはいたものの料理など全く自信が無かった。
そんな時、父 の戦友でもあった宮崎県延岡市在住の黒木清氏に出会う。黒木氏は地元で約50年のキャリアを持つ餃子一筋の方である。
約半年間、黒木氏宅で修行させて頂いた。餃子作りは一見簡単そうに見えて、いざ実際自分で作ってみると師匠の味とはまったく違い、自信がないままのスタートでもあった。




挫折・・・ふと気づけば居酒屋に

開店はしたものの案の状、来店が多かったのは開店当初だけで、その後 は数えるくらいの来客数の日々が続く。
そのうち徐々に餃子以外のメニューを増やすことで少しづつ売上げは上がるが肝心の餃子の売れ行きは伸びず、いつしか餃子専門店が居酒屋になってしまった。 4年間頑張ったが、心労が重なり、急性腹膜炎で入院、胃の4分の3を切除して、何とか命は助かったがお店は閉店を余儀なくされることになる。




もう一度餃子を・・・

またまた、生活に事欠く日々が続く、そんな中、「もう一度餃子専門店を・・・」という餃子一筋に賭ける決心のもと、平成11年南区玉川町に店を構える。とはいっても立地は人通りの少ない路地裏、住まいを兼ねた店舗の面積はわずか二坪からの再出発である。
それからというもの脇目もふらず餃子一筋、餃子まみれの日々が続く。
原価も考えず、とにかく美味しい餃子を作ろうと、塩、水、肉、野菜等良いものを日々探し求めた。また、皮の厚さも試行錯誤の結果、美しいきつね色に仕上が る現在の厚さになった。最初の1年間は売上げこそ少なかったが、研究 時間もたっぷりあり、日々研究を重ねることに専念した。




天からのご褒美

餃子の味に自信ができ始めた頃、「やずや」さんのコミュ二ティ誌に掲載されたり、口コミで除々にお客さんも増え始めてきた。
そんな時KBC放送「アサデス」のお取寄せ餃子で2回取り上げて頂き、店は大ブレイク!夫婦二人ではこなしきれずスタッフを動員。
店を立ち上げるまでの苦しい日々を振り返り、多くの方に励まされ助けられた感謝を感じる時期でもあった。



北九州リバーウォーク

こうして次から次にメディアに取り上げられた事で、平成16年4月北九州 市のリバーウォーク施設内「餃子の小径」への出店依頼の話しが飛び込んで来る、期間限定ということもあって出店を決意した。
第3回餃子バトルでは見事1位になるなど、北九州でも順調な売上げを続けた。






新たな出発

黒兵衛は、皮から具まで全て手造り、売上げがあがると共に、二坪の店舗では作業が出来なくなる、厨房の狭さに加え、買いに来て下さるお客様の駐停車で近隣の 方にご迷惑をおかけする様になる。更に日曜 日も営業してほしいとのたくさんのお声をいただき、南区大楠の現店舗へ移転を決めた。広くなった事で作業性も良くなり、路地裏から表通りへと移ったこと で、認知度も上がりお客さんも増えてきた。






いつだって一生懸命

餃子専門店「黒兵衛」は生産ルートにこだわり、たくさんの野菜を体に、どこよりも美味しい黒豚で、ラーメンだって作れるスープを国産小麦に練りこんで、食から栄養を体に取り込むことを大切に1つ1つ手づくりしている。
黒兵衛を好きといって下さるお客様の想いを餃子の中にいっぱいつめてお届けしたい。
それがずっと変わらぬ黒兵衛のコンセプトである。




開業物語 第3回 サプリ ヘアクリエーション

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店 名 / サプリ ヘアークリエーション
住 所 / 福岡市早良区原6-29-12
TEL / 092-846-5810
定休日 / 毎週 月 第3火(祝日の場合は営業)
営業時間 / 9:30~19:30
開店日 / 2005年 6月22日
坪 数 / 12.5坪
席 数 / セット 4台
シャンプー 2台

オーナーの
松本さん

サプリ ヘアクリエーション

 

美容師になろう。

美容師になろうと思ったのは、中学生の頃です。
その頃流行ってた歌手の髪型を真似てみたくて、床屋じゃなくて美容室に行きました。
結果は・・・、髪の長さが足りなくて、思っていたのとは全然違う仕上がりになってしまいましたが・・・。
けれど、 美容師という仕事に興味を持ったのは確かにその時でした。
それで、中学3年の時、親に美容師をやってみたいと相談したら知り合いの美容業界の方を紹介してくれました。
その方に「高校を出て、気持ちが変わらなければもう一度来なさい。」と言われ、高校3年の時もう一度、その方に相談に行きました。
すると大阪で1,2を争うお店を紹介してくださり、「石にかじりついても、5年間やってみなさい。」と言われ、単身大阪に出て、働きながら美容師の勉強をしました。


美容師としての修業。

大阪での暮らしはとても厳しい修行の毎日でした。
2畳の部屋に住んで、昼はサロン、夜は勉強で美容師の資格を取りました。けれど今思えば、その苦労が全部、今の美容師としての自分の基礎になっていますね。
5年が過ぎ、大阪を離れロンドンに1ヶ月ほど留学をしました。帰ってくると、先輩から「名古屋で新しいサロンをはじめるから、立ち上げを手伝ってくれないか?」と誘われ、名古屋に。
そこで1年半ほど働いたのですが、先輩がスタイリストから経営者へと変わっていくのを、身近で見ていてサロン経営の難しさみたいなものを感じましたね。



自分を磨いていこう。

経営というものを考えはじめる傍ら、スタイリストとしての自分をもっと磨いてみたいとも考えていました。
そこで、東京にあるメイクの学校を受験しようと考えたのです。
その学校に入るためには試験があって、全国から美容師が集まってくる難関でした。学費を稼ぐために、地元に帰って半年間お金を貯めるために、勉強しながら朝も夜も働きました。
そんな努力の甲斐あって、合格者20人という狭き門をくぐり抜けて、その学校で1年間勉強しました。歌舞伎のメイクやら、メイクの歴史、美大の先生を呼んでのデッサン・・・。ひたすらクリエイティブで、 周りの人間や環境に刺激を受けた毎日でした。

 




華々しい世界と両親の言葉

メイクの学校を出ても、そのまま東京に残り、サロンに勤めました。当時自分はテレビ局や雑誌のスタイリストの仕事もしていたのですが、華やかな世界に身を置きながらも、やっぱり自分のお店を持ちたいと考えるようになりました。
独立して自分のお店を持つことを深く考えはじめた頃、ちょうど両親から「九州に帰ってきてくれないか?」と言われました。
自分も30歳。ずっと応援してくれた両親の求めに応じ、福岡に移りこの地での独立開業を本格的に考えることにしたのです。

 



独立を決心させたのは・・・「ネット占い」?

福岡で独立を考えながら働き出したある日、何の気ナシにインターネットで自分の運気を占ってみました、すると「今年は何をやってもダメ!」・・・ んん・・・。
違う占いをやってみたら「今年は勝負の年、必ずうまくいく!」・・・・よっしゃ!勝負!
と、言いうわけでその年の独立を決心しました。けれども別にいい加減な気持ちだったわけではありませんよ。”きっかけ”みたいなものだったと思います。 ちょうど子供が生まれて、精神的にも、年齢的にも今が一番気力が充実しているんじゃないかな?と思った所の占いで、一気に弾みがついたんだと思います。

 





お店を作るということ、経営者になるということ。

実は最初、ただ単に手を掛けずにお店を持ちたい、とだけ考えていました。しかし、相談に行ったところがまずかったのか、紹介される物件もしっくり来ないし、 「チラシをまけばお客さんは来ますヨ!」なんて調子のいいことばかり、挙句、うたい文句と違った契約内容だったのです。
これはいけないと思い、もう一度自分で店舗の内装会社を探しました。すぐに相談に行ったら「それはいけない、あなたは経営者になるんだから。」と言われ、もっと経営の勉強をして独立を考えなければ!と一念発起。
最初の会社を断り、店づくりは相談に行った内装会社にお願いして、自分は美容師としてのサロンワーク以上の、「経営者としての勉強」をはじめました。



全ては「サプリ」という言葉

まず最初にお店の名前「サプリ」を決めました。
そして自分はどんなお客さんに来て欲しいか?どんなところにそんな人達はいるか?そう考えて立地を決めました。
また、お店のデザインや、設計の大まかな所は担当のデザイナーさんに任せました。自分もお客さんのスタイルを作るプロとしての経験上、細々としたことを指 定されるより、大まかなイメージを共有し、後はプロに任せた方が、より良いものを作り上げられると思ったからです。 だから、こだわったのは自分が持っている「サプリ」と言う言葉のイメージをいかにデザイナーさんに伝えられるか、また、デザイナーさんがそれをどれだけ実 現してくれるかどうか?という点です。

 



経営者としてのスタート

工事期間中はとにかく、ひたすら経営の勉強をしました。
午前中はポスティングしながら、近所の雰囲気や交通量を見たり、午後は現場の状況を確認して、経営の本を読んだり、勉強会に出たり。
そこで、「自分にしかできないこと」を「サプリ」の特徴に打ちだそうと考えました。
そして引き渡しの後、ずっと薬剤の調整をしていました。オープンぎりぎりまで、毎日2,3人づつ知り合いに来てもらって、全部で20人くらいですかね。と いうのも、自分は知識、特に「髪に優しいパーマ・カラー」の知識や腕に自信があって、それを「サプリにしか出来ないこと」にしようと思ってこだわりまし た。


2005年6月22日9時30分・・・オープン

初日はずいぶん予約もあったんですが、オープンした最初の頃はなかなか思うとおりにはいかなかったですね。
けれど、「こんなもんかなぁ」と、必要以上に焦らなかったと思います。なぜなら、お客さんもない、あまり縁のない土地お店を出したのだし。・・・しかしそれ以上に自分がしてきた経営の勉強やリサーチ、そして、たくさんのこだわりに自信があったんです。
今では「サプリ」のこだわりに共感してくれるお客さんがずいぶん来てくれるようになりました。
先日、偶然大阪時代の厳しい修業時代を乗り越えた仲間達と会うことが出来ました、それぞれ自分の店を持って頑張っている姿に、自分も負けてられないと思っています。

 



開業物語 第2回 アジアンセラピー サララ

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店 名 / アジアンセラピー サララ
住 所 / 福岡市中央区天神2-2-13サンベアービル 4F
TEL・FAX / 092-714-7999
定休日 / な し
営業時間 / 11:00~21:00(受付 20:30)
開店日 / 2004年 11月9日
坪 数 / 16坪
席 数 / ベット 4台

 

オーナーの張さん

 

 


開業する前の私。

開業する前、私は天神のデパートに勤めていました。
女性が働きやすい職場環境だったので、3人の子育てとの両立ができる何不自由無い生活をおくっていました。ただ、育児休業で1年休んで復帰する度に思った ことは、「私がいなくても支障なくまわっていたんだな…」です。そんなある日、趣味で始めたトールペイントの教室での素敵な先生との出会い。自分の趣味を仕事に出来るなんて最高よね!私も好きなことを仕事にしてやりがいを感じたい!でも自分のしたい事ってなんだろう・・・?




開業のきっかけは…
リフレクソロジストとして活躍している自分の姿。

そんなある日、友人に誘われてリフレクソロジーサロンへ。
初めて体験したリフレクソロジーがとても気持ちよくて、疲れを溜め込まない方法を職場の同僚や友達にも教えてあげようと思いました。
それよりも、私がみんなにしてあげられたらどんなに素敵だろう!そうだ、人をキレイにして喜ばせたり元気にしたりすることが昔から大好きだったじゃない! 私の趣味は人を元気にすること。
コレだったら趣味を仕事にできる!施術中、頭の中では自分がリフレクソロジストとして活躍している姿が浮かび、帰り道「ケイコとマナブ」を買っていました。



やりたいことが見つかった!・・・でも、次は?

3ヶ月かけて夫を説得して、会社に退職願を出し、リフレクソロジースクールへ通いだした私でしたが、開業となるとどうしていいのか全く見当もつきません。
自宅開業で細々と1人でやろう。それより、近所のマンションを借りたほうがいいかな?不動産屋さんの勧める部屋を見に行ってもなかなかピンとくる物件も無い。
実はこのとき、私は一つのことを我慢していたのです。
それは「ちゃんとした店舗を構えて看板を出したい!

 




「やっぱり自分のお店を持ちたい!」

自分に正直に本当にやりたい開業を考えてみました。
そして、「天神に自分のお店を持ちたい!」「もう、マンションで我慢するのは嫌だ!」と気持ちが決まったのです。
それからはビル・店舗専門の不動産屋さんに切り替えて物件探しを始めました。運良くちょうどいいタイミングで完成したばかりのビルのテナントに即決!福岡駅から徒歩3分で国体道路沿いの好立地。これなら天神に勤める人や、乗り換える人にも便利!よし、店舗は決まった。
早速、店舗の設計事務所を探して、物件が決まっていること、なるべく早く開店したい事を伝えました。
“私のお店作り”の開始です!

 



独立開業に向けて準備!・・・勉強あるのみ

学校を出て資格を取った私でしたが、開業するに当たって、勉強しないといけないことはまだまだ山積みです。
資格取得後、リフレクソロジーサロンで修行をしていましたが、開業ギリギリまで働きました。技術以外の勉強は商工会のセミナーや開業や経営の勉強会にも通 いました。それまでに自分で準備をしていた開業計画書は1枚で中身の薄いものでしたが、セミナーで見本として出されたのが16枚綴りだったのには驚きました。それをお手本に私も16枚綴りの中身の濃いものに仕上げました。

 




私にしかできないおしゃれなお店を作ろう!
目指すは「アジアンリゾート」

修行や勉強をしていく中でお店のコンセプトが固まってきました。「治療院」のような味気ないサロンはゼッタイ嫌。憧れの国、タイやバリのスパをイメージした店内に1歩入るだけで普段の生活から離れられる空間にしたい。そして、かつての私のような「子育て中のママや働く女性」を応援するお店にしようと思いました。この思いをデザイナーさんへ伝えるために本屋でいろんな雑誌を買い、イメージに合う写真の切抜きを集めました。うまく伝わったかな?とちょっぴり心配でしたが、できあがった図面を見て感激!私の夢がだんだん形になっていく。

 




工事開始!・・・でも様子を見る暇もない!?

図面が出来て、壁紙や床材が決まって工事着工からオープンまではあっという間でした。
修行をしながら休日を利用して、スタッフの研修やお店に置くインテリア選び、開業案内の手紙の準備をしました。スタッフはリフレクソロジースクールの同級 生2人。他店で働いていたところ声をかけて来てもらいました。なので、技術面を指導せずに済み助かりました。あれこれ準備をしていたらあっという間にオー プンが迫ってきます。





ついに出来た私のお店!

完成したお店は想像以上に素敵でした。けれど、それに浸るまもなくオープンは間近。
スタッフと予行演習を繰り返しながら、準備を進めます。スタッフに1番に話したことは「ここは喋る足つぼ屋にするから」ということ。リフレクソロジーサロンというとほとんどのお店がシーンと静まり返った静かな店。だから、ここは喋ってストレス発散できるお店にしたかったのです。お客様が抱える仕事や育児の悩みを聞いたり、疲れを溜めないためのホームケアのアドバイスをしたりして、心身ともに元気になっていただける。そんなお店を作りたかったから。




2004年11月9日10時00分・・・「オープン当日」

オー プン当日…実は今のようにお客さんが来てくれたわけではありませんでした。お店を開けばお客さんは来てくれる。そう思っていたけれど、知名度も無いお店に お客さんを集めるのは大変でした。開業してからも勉強の毎日でした。業種は違えど、同じく開業した仲間と情報交換をしたり、試行錯誤を繰り返しながらチラ シを作って配ったり。そうしているうちに1度来たお客さんが2度3度とリピーターになってくださるようになり、紹介も増えました。「美容室に行く回数を減らしてでも、ここに来たほうがキレイになれるわ。」あるお客さんからいただいた言葉です。現在は毎日、お客さんとの話し声で賑わうお店になりました。
本当に作りたかったものが現実になり、毎日幸せな日々を送っています。

 






開業物語 第1回 ぢどり長屋

shop date

店 名/ぢどり長屋
住 所/福岡市中央区薬院3-12-12
TEL/092-526-1023
営業時間/18:00~24:00
(金・土・祝前18:00~01:00)
開店日/2005年6月15日
坪数/15坪
席数/30席
URL/
BLOG/http://ameblo.jp/nagayano-kiyojun/


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